京都地方裁判所 昭和57年(ワ)2220号 判決
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【判旨】
一請求原因について
1 請求原因1(原告らの地位)及び同2(被告の地位及び被告の本件記事<編注・別紙(四)の記事>の掲載、頒布)の各事実は、当事者間に争いがない。
2 ところで、原告らは、本件記事が読者に対して、原告らが宗教家として恥ずべき行為をする人物であるとの印象を持たせることが明らかであることを理由に原告らの名誉が毀損された旨主張するのに対し、被告は、本件記事はその前後の記事内容の中に埋没していて読者に対して右のような印象を与えるものではなく、仮に右のような印象を与えたとしても、原告らには、当時、既に右印象のような社会的評価が定まつていたものであるから、いずれにしても本件記事が原告らの名誉を毀損するものではないと主張して争うので、以下、この点について判断する。
(一) <証拠>によれば、本件記事の見出しの有無・掲載位置等の体裁は被告主張(請求原因に対する被告の認否及び主張2(一)記載)のとおりであることが認められる。しかしながら、他方、<証拠>によれば本件記事は、冒頭において「△ところで、以下は″お粗末劇″の裏のウラ。―」と表現に工夫が凝らされ、本件曹洞欄の冒頭の「○田中内局の予算案撤回・総辞職という″お粗末劇″の舞台裏で何が起こつていたか、その全貌がようやく明らかになりつつある」という表現と呼応して、視覚的に他の部分から目立つようにされていることが認められ、また内容的にも、<証拠>によれば、本件曹洞欄の本件記事以外の事実報道部分(殊に①田中内局の総辞職原因としての予算案の杜選さ・内局の足並みの乱れ、②四者会談に関する事項)は、本件記事掲載以前に中外日報紙、文化時報紙において報道済であつた一方、本件記事の如き内容は未だ報道されていなかつたことが認められるうえ、原告らの社会的評価につながる重要な事柄だけに、本件記事はかなりのニュースバリューを有するものであつたということができる。右視覚的、内容的両面を総合勘案すれば、本件記事は被告主張のとおりの体裁をとつてはいるが、なお前後の記事内容に埋没することなく、読者に対して原告ら主張のように原告らの社会的評価を傷つける印象を与えるものであるというべきである。
(二) <証拠>によれば、マスコミの再三の指摘によつて、以前より曹洞宗が「騒動宗」と呼ばれるほどに宗政に混乱をきたしていたこと、原告らが本件記事掲載当時、曹洞宗の宗政に深くかかわる立場にあつたことは周知の事実であつたことが認められる。しかしながら、本件全証拠によつても原告らが従前から本件記事内容に類するような宗政家として恥ずべき無責任・不見識きわまりない行動をしていたとの社会的評価が既に定着していたとの事実を認めるに足りない。
(三) 以上の説示によれば、被告が本件記事を掲載、頒布したことによつて、原告らの名誉、信用を毀損したことは明白というべきである。
3 請求原因4(原告らの損害)の事実は右2で認定した事実より容易に認められる。
二 抗弁について
民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利益に関する事実に係り、かつ専ら公益を図る目的に出たものである場合、摘示された事実が真実であると証明されたときは、右行為には違法性がなく、またその事実の真実であることが証明されなくても、当該行為者においてその事実が真実であると信じたことにつき相当の理由があると認められるときは、右行為には故意もしくは過失がなく、不法行為は成立しないものと解すのが相当であるので、この見地に立脚し以下本件について検討することとする。
1 本件記事が、公共の利益に関する事実に係るものであることは当事者間に争いがない。
2 そこで本件記事が公益目的に基づき執筆、掲載されたものと認められるか否かにつきみるに、公益目的の有無は、記事の内容・文脈等外形に現われているところだけによつて判断すべきではなく、その表現方法、根拠となる資料の有無、これを取り扱うについての執筆態度等を総合し、それらが公益の目的に基づくというにふさわしい真摯なものであつたかどうかの点や、隠された動機として、例えば私怨を晴らすためとか私利私欲を追求するためとかの、公益性否定につながる目的が存しなかつたかどうか等の、外形に現われていない実質的関係をも含めて、全体的に評価し判定すべき事柄である。
この見地によれば、本件記事のように公共性を有する事実の摘示であつて、記事の外形上公益目的によると見られる体裁を一応保持している場合には、他に格別の事情が存しない限り、記事内容に現われている通りの公共性ある批判を意図したに過ぎないものと事実上推定されるから、公益目的を否定する側においてこれを摘示した真の動機が公益目的によるものでない等の具体的事情の主張立証を要するものというべきである。
ところで、原告らは、被告は原告らに対し従前より偏頗で一方的・不公正な報道姿勢を続けていたこと、本件記事を担当した形山記者は原告らに対する何らの取材も行わず、また本件記事の内容である五者会談の時間・場所を具体的に特定すべく取材することなく本件記事を掲載したこと等から被告の真の動機は原告らに対する悪意に基づく誹謗・中傷にあると主張する。<証拠>を総合すれば、形山記者が原告らに対して全く取材することなく、また五者会談の日時・場所を具体的に特定すべき取材もなしていないことが認められ、形山記者は調査不十分の状態で本件記事を執筆・掲載したものということができる。しかしながら、弁論の全趣旨によると本件記事の執筆・掲載は被告の曹洞宗に対する年来の批判活動の一環と見られるので、本件記事以前の一連の批判活動にも目を向けて、それらとの関連をも考慮して本件記事掲載の目的を探求してみる必要があるところ、本件記事掲載以前の中外日報紙である<証拠>によれば、用語や表現にやや穏当を欠くと受けとられる部分がないではないが、同和問題、駒大建設問題をとりあげて宗政上の問題を問うた昭和五七年三月一七日付の中外日報紙(乙第一一号証)をはじめ他の同紙の記事も大筋においては曹洞宗の宗政のあり方を批判したものであることが認められる。以上の事実によると、中外日報紙の報道には多少行き過ぎとみられる表現部分もみられるが、その報道姿勢は基本的になお公益の目的の枠内にあつたものと認められる。
よつて、本件記事の調査には成程不十分なところが認められるが、右報道姿勢を合わせ考えれば、本件記事は被告において公益の目的で執筆・掲載されたものというべきである。
3 次に本件記事の真実性について検討する。
<証拠>によると、形山記者は昭和五一年頃から主として曹洞宗関係の取材に当つていたのであつて、本件宗議会当時、同宗の宗政面の内情につき関係者に個別に面接するなどして、かなり立ち入つた取材をなし得る立場にあり、部外者としては比較的内情に通じていたことが認められるのであるが、本件記事の取材に関する証言部分を仔細に検討すると、いわゆる五者会談の内容はもとより五者会談がもたれたという点についても、憶測の域を出ない取材に基づく推測に過ぎないことが明らかであつて措信するに足らず、他に本件記事の真実性を担保するに十分な証拠はない。
また、<証拠>を総合すれば、形山記者において原告らに対して全く取材をしていないこと、本件記事の対象となつている五者会談の場所、日時について裏付け取材をしていないことが認められ、被告が本件記事を真実と信じたことについて、相当の理由があるものとは到底認め難い。
4 従つて被告が本件記事を掲載、頒布して原告らの名誉を毀損したことは、民事上の不法行為を構成するものといわざるをえない。
三ところで、原告らは、謝罪広告の掲載を求めるので、以下この点について検討する。本件記事が中外日報紙に掲載されてから既に三年以上経過していること、本件記事は中外日報紙に掲載されたにとどまること、中外日報紙のような宗教新聞の読者が購読する宗教新聞を変えることは少ないものと考えられること、その他本件にあらわれた諸般の事情を総合勘案すると、原告らの名誉を回復させる方法としては、被告に別紙(一)記載のとおりの謝罪広告を、見出し、宛名並びに被告の会社名及び代表者名の部分をそれぞれ四号活字とし、本文は五号活字として、中外日報紙に第一面最下段より二段幅で右四分の一の大きさで、一回掲載させれば足りるものと解される。
(石田 眞 小山邦和 大西忠重)
別紙(二)、(三)<省略>
(別紙(一))
謝 罪 広 告
当社発行の昭和五七年三月二九日付中外日報紙上の教界雑記中の曹洞欄に、昭和五七年度定宗開催中に貴殿らが密謀をこらし、秘かに吉岡首班の票読みをしていたという趣旨の記事を掲載しましたが、右記事は、さしたる根拠もなく掲載したもので、当社の報道により貴殿らの名誉を著しく毀損し多大の御迷惑をおかけしました。
よつて、ここに深くお詫び申し上げるとともに、今後このような行為のないよう努力いたしますことを誓います。
株式会社中外日報社
代表取締役 本 間 昭之助
(別紙(四))
「ところで、以下は″お粗末劇″の裏のウラ。―田中亮三宗務総長が自らの進退についてある程度ハラを固めたのは定宗四日目の二日頃と言われる。当然そこに次の首班問題(今度は総持寺系から選ぶ)が急浮上するが、驚くべし、定宗開会中の某夜、某所で、町田同真会本部の町田宗夫、永井孝道、伊藤襄爾、総和会の吉岡棟一、藤原正秀の各氏らが合流、秘かに″吉岡首班″の票読みをしていたという。票読みの中身は、町田同真会本部が二十五票(岸野議長を除く)総和会内の吉岡派が十一票で、きわどく過半数獲得―という皮算用。ところが、一夜明けて、吉岡派の頭数に入つていた二人が、吉岡首班に与(くみ)せず、と抜けたため、密謀はあわや流産に―。」